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「行かへん」と「行かん」の境界線はどこ?|否定形でわかる出身地マップ
気を抜いた瞬間に出るのが否定形です。「行かへん」も「行かん」も、意味は同じなのに出身地をかなり正確に言い当ててしまいます。
「行かない」「行かん」「行かへん」「行かねぇ」。 意味はどれも同じ、ただの打ち消しです。 それなのに、この一語で出身地がかなり絞り込めてしまう。 否定の形は、方言のなかでも指紋のような部分です。
しかも否定形は、単語のように意識して覚えるものではありません。 気を抜いた瞬間に出る。だからこそ、上京してから最初に指摘される方言が 「〜へん」だったり「〜ん」だったりします。
方大きな線は「ない」と「ん」
いちばん太い境目は、東の「ない」と西の「ん」です。 西日本の「ん」は、古い打ち消しの助動詞「ぬ」から続く形とされ、 「行かぬ」→「行かん」という流れで説明されます。 東の「ない」のほうが、実は後から広まった新しい形です。
この境目は、いる/おる、だ/や、といった他の東西差と重なりながら、 だいたい同じあたりを通ります。線がどこを走っているかは 東西境界線の記事 でくわしく扱いました。
方関西の「〜へん」はどこから来たのか
関西の否定といえば「行かへん」「食べへん」。 この「へん」の出どころについては、「〜はせぬ」が縮まったという説がよく挙げられます。 「ありはせぬ」→「ありゃせん」→「あらへん」のような変化を想定する説明です。
ただし、ここは断定を避けたいところです。 「へん」の成立過程については研究者のあいだでも複数の見方があり、一つの筋道で決着がついているわけではありません。 「そう説明されることが多い」くらいの温度で覚えておくのが安全です。
「メーヘン」から「ミーヒン」へ
面白いのは、関西のなかでも世代で形が動いていることです。 大修館書店の国語教室で紹介されている調査では、 「見ない」にあたる形が老年層では「メーヘン」中心なのに対し、壮年層では「ミーヒン」が72.6%と優勢になっている、 という結果が報告されています。
関西弁は変わらない、というイメージがありますが、 実際には親と子で違う形を使っている。 方言が古い形のまま止まっているわけではない、という良い例です。
方いま広がっている「〜やん」
さらに新しい動きもあります。同じ紹介記事によると、 若年層(19〜29歳)では「見やん」にあたる「ミヤン」が24.6%現れ、老年層・壮年層にはほとんど見られないとされています。 「来やん」「しやん」も同様です。
ここからが本題です。この「〜やん」、和歌山県・三重県・奈良県南部では、いまも老年層が使っていると紹介されています。 つまり大阪の若者に現れた新しい形は、まったくの新発明ではなく、 周辺部にもとからあった形が中心部へ流れ込んだ、と考えられるわけです。
方過去の否定でも、地域が割れる
現在形だけでなく、過去の否定も地域差が大きい部分です。 「行かなかった」に対して、 西日本には「行かなんだ」という形があります。 「〜なんだ」は近世の上方でよく使われた形で、 いまも近畿・中国・四国などの年配層に残っています。
一方、若い世代では「行かんかった」が優勢になっている地域が多く、 ここでも世代交代が進んでいます。 同じ県内で、祖父母は「行かなんだ」、孫は「行かんかった」という状態は珍しくありません。
方そのほかの否定形
「〜ねぇ」(東北・関東)——「ない」の変化形。 「行かねぇ」「知らねぇ」。乱暴な言い方というより、 その地域ではふつうの形として使われてきました。
「〜せん」(中部〜西日本の一部)—— 「行きゃせん」「知らせん」のように、 「〜はせぬ」系の形が短くなったものが残っている地域があります。
「〜ん」(九州)——九州は基本的に「ん」の領域です。 ただし九州のなかでも文末の付き方は地域で大きく違います。くわしくは 九州方言の記事 へ。
方まとめ
否定形は、語彙のように「知っているかどうか」ではなく、体に染みついた文法です。 だから引っ越しても最後まで残りやすく、 逆に言えば、いちばん自分の出どころを言い当てられる部分でもあります。
そして、その否定形もまた動いています。 「メーヘン」が「ミーヒン」になり、「ミヤン」が現れる。 方言は保存された標本ではなく、 いまも形を変えている生きた仕組みです。
参考・出典
- 国立国語研究所『方言文法全国地図』(全国807地点・文法/表現法267項目の面接調査、1989〜2006年刊)
- 国立国語研究所『方言文法全国地図』PDF版ダウンロード(各図の地図・凡例を公開)
- ことば研究館(国立国語研究所)「研究成果の紹介:『方言文法全国地図』第4集 表現法編I」(否定表現16項目・全55面)
- 大修館書店 WEB国語教室「大阪のおっちゃんは『見やん』『来やん』て『言わへんねん』——大阪の若者の間で広がる否定の『〜ヤン』」(世代別使用率・周辺部からの流入)
方言は同じ県内でも地域・世代によって差があります。掲載内容と異なる言い方をご存じの場合はお知らせください。