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「行かへん」と「行かん」の境界線はどこ?|否定形でわかる出身地マップ

気を抜いた瞬間に出るのが否定形です。「行かへん」も「行かん」も、意味は同じなのに出身地をかなり正確に言い当ててしまいます。

言語学入門公開 更新 読了 約8

「行かない」「行かん」「行かへん」「行かねぇ」。 意味はどれも同じ、ただの打ち消しです。 それなのに、この一語で出身地がかなり絞り込めてしまう。 否定の形は、方言のなかでも指紋のような部分です。

しかも否定形は、単語のように意識して覚えるものではありません。 気を抜いた瞬間に出る。だからこそ、上京してから最初に指摘される方言が 「〜へん」だったり「〜ん」だったりします。

大きな線は「ない」と「ん」

いちばん太い境目は、東の「ない」と西の「ん」です。 西日本の「ん」は、古い打ち消しの助動詞「ぬ」から続く形とされ、 「行かぬ」→「行かん」という流れで説明されます。 東の「ない」のほうが、実は後から広まった新しい形です。

この境目は、いる/おる、だ/や、といった他の東西差と重なりながら、 だいたい同じあたりを通ります。線がどこを走っているかは 東西境界線の記事 でくわしく扱いました。

→ 東西境界線の記事

全国の否定形を、まとめて見た地図がある
国立国語研究所『方言文法全国地図』は、全国807地点で文法・表現法267項目を面接調査した結果を地図化したものです。 第4集(表現法編I)には、 「行きはしなかった」のような否定表現16項目を含む55面の地図が収められています。 分布を自分の目で確かめたい人は、PDF版が公開されているので直接見るのが早いです。

関西の「〜へん」はどこから来たのか

関西の否定といえば「行かへん」「食べへん」。 この「へん」の出どころについては、「〜はせぬ」が縮まったという説がよく挙げられます。 「ありはせぬ」→「ありゃせん」→「あらへん」のような変化を想定する説明です。

ただし、ここは断定を避けたいところです。 「へん」の成立過程については研究者のあいだでも複数の見方があり、一つの筋道で決着がついているわけではありません。 「そう説明されることが多い」くらいの温度で覚えておくのが安全です。

「メーヘン」から「ミーヒン」へ

面白いのは、関西のなかでも世代で形が動いていることです。 大修館書店の国語教室で紹介されている調査では、 「見ない」にあたる形が老年層では「メーヘン」中心なのに対し、壮年層では「ミーヒン」が72.6%と優勢になっている、 という結果が報告されています。

関西弁は変わらない、というイメージがありますが、 実際には親と子で違う形を使っている。 方言が古い形のまま止まっているわけではない、という良い例です。

いま広がっている「〜やん」

さらに新しい動きもあります。同じ紹介記事によると、 若年層(19〜29歳)では「見やん」にあたる「ミヤン」が24.6%現れ、老年層・壮年層にはほとんど見られないとされています。 「来やん」「しやん」も同様です。

ここからが本題です。この「〜やん」、和歌山県・三重県・奈良県南部では、いまも老年層が使っていると紹介されています。 つまり大阪の若者に現れた新しい形は、まったくの新発明ではなく、 周辺部にもとからあった形が中心部へ流れ込んだ、と考えられるわけです。

周圏論の「逆流」
京都から地方へ言葉が広がるという方言周圏論の考え方からすると、 これは向きが逆です。周辺に残っていた形が中心部に入ってくる。 鉄道網による通学圏の拡大や、周辺部からの人口流入、 SNSで話し言葉と書き言葉の境目が薄れたことなどが要因として挙げられていますが、いずれも推定であって、証明された原因ではありません。 周圏論そのものは「方言はなぜ生まれるのか」の記事で解説しています。→ 方言はなぜ生まれるのかの記事

過去の否定でも、地域が割れる

現在形だけでなく、過去の否定も地域差が大きい部分です。 「行かなかった」に対して、 西日本には「行かなんだ」という形があります。 「〜なんだ」は近世の上方でよく使われた形で、 いまも近畿・中国・四国などの年配層に残っています。

一方、若い世代では「行かんかった」が優勢になっている地域が多く、 ここでも世代交代が進んでいます。 同じ県内で、祖父母は「行かなんだ」、孫は「行かんかった」という状態は珍しくありません。

そのほかの否定形

「〜ねぇ」(東北・関東)——「ない」の変化形。 「行かねぇ」「知らねぇ」。乱暴な言い方というより、 その地域ではふつうの形として使われてきました。

「〜せん」(中部〜西日本の一部)—— 「行きゃせん」「知らせん」のように、 「〜はせぬ」系の形が短くなったものが残っている地域があります。

「〜ん」(九州)——九州は基本的に「ん」の領域です。 ただし九州のなかでも文末の付き方は地域で大きく違います。くわしくは 九州方言の記事 へ。

→ 九州方言の記事

まとめ

否定形は、語彙のように「知っているかどうか」ではなく、体に染みついた文法です。 だから引っ越しても最後まで残りやすく、 逆に言えば、いちばん自分の出どころを言い当てられる部分でもあります。

そして、その否定形もまた動いています。 「メーヘン」が「ミーヒン」になり、「ミヤン」が現れる。 方言は保存された標本ではなく、 いまも形を変えている生きた仕組みです。

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参考・出典

方言は同じ県内でも地域・世代によって差があります。掲載内容と異なる言い方をご存じの場合はお知らせください。

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